石巻へ2度でかけた経験から、今度は自分たちだけでボランティアに行ける!と思いました。そして、帰ってきてからずっとどこへ行こうかと考えていました。
あまり期間があかないうちに出かけようと思っていたのですが、どこへでも行ける!日程も好きに決められる!という立場になると、選択肢も多くぱぱっと決められませんでした。
結局2週間も空いてしまいましたが、頑張って石巻のお隣りの東松島市まで出かけてきました。
東松島市災害ボランティアセンターでは、コチラの記事にもありますように、申請すれば事前に『ボランティア受け入れ承認書』を発行してくださいます。
これを持って、自分の住んでいる自治体で申請すれば、災害派遣等従事車両として往復の高速道路料金を無料にすることが出来ます。
往路は自腹で行かれている方が多いようなのでありがたいシステムです。
と、言うわけで早速私たちも『ボランティア受け入れ承認書』を持って市役所に行き、『災害派遣等従事車両証明書』を発行してもらってきました。
東松島市災害ボランティアセンターのテントサイトはこんな感じ。
センター本部のあるコミュニティーパークの一部の敷地をテント泊車中泊が出来るように利用させてくださっています。
いろんな都道府県の車のナンバーがありますが、今回は九州のナンバーが多かったように思います。
こちらがセンター本部。
以前は、隣接する保険相談センターの2階だったようですが、最近こちらに引っ越してきたとのこと。
入ってすぐ右手に受付があるので、そちらで声をかければ色々教えてもらえます。
受付後はメンバーを見ながら、ボラセンのスタッフ(こちらもボランティア)さんがニーズに合わせて割り振りしてくれます。
名前が呼ばれるのを待ちながら、割り振りの様子を見ていましたがシンプルながらとてもよく出来たシステムだなぁと感心してしまいました。
テントの中にはいろいろな貼り紙があったり、Tシャツ、飲み物、飴などが『ご自由にお持ちください』で置いてあったり。
こちらの貼り紙にも書いてありますが、ここのボラセンでは午前2時間、午後2時間の活動が基本です。
午前の活動終了後は一旦センターに戻り、午後は改めて受付をして再割り振りをするシステム。
活動時間が短くて物足りない気もしましたが、気温も上昇してきた状況の中、ボランティアの体調を考えてのことのようです。
生活情報はコチラ。
東松島市のボラセンはかなり恵まれた場所にあります。周囲にロックタウン矢本 という大型ショッピングモールやAコープ矢本店、お風呂などなど。少し遠い所もありますが徒歩圏内なので、長期滞在もしやすそうでした。
お風呂に関しては、少し前までお隣りの敷地で自衛隊風呂にも入れたみたいですよ。
1日目午前中は、お庭の泥だし。活動時間が2時間と短いため、1度では到底終わらずボランティアが何度か入っているお宅のようでした。
日当たりが良い場所なので、パリパリに乾いて手で拾い集められるヘドロ。石巻で床下から取り出したソレとは全然違う感じ。
庭木のある一段高くなっているエリアだったので、みんなで手で拾い集めました。軽くて扱いは楽なのですが、逃げどころのない炎天下。短時間でも結構体力を奪われます。差し入れに頂いたアイスが美味しかったです。
午後からは、午前とは別の家の住居周囲の泥だし&瓦礫片付け。午前の家とは違い日当たりが悪いので少し湿ったヘドロ。敷地も広くやってもやっても片付いた感じがしませんでした。瓦礫置き場にも遠く効率上がらず…。ボラセンに人員追加をお願いしたほどです。
1日目はよいタイミングがなく写真は撮れませんでした。
夕方早い時間からフリーになったので、ロックタウンまで歩いて行って食料を購入してきました。夜はもちろんテント泊です。
2日目は、仮設住宅に物資を搬入するお手伝い。
実は前日ボラセンで『明日、仮設住宅に物資を配るボランティアさんを募集!』と書いているのを見て、申し込んでおいたのでした。
泥だしがイヤというワケでは無くて、いろんなトコロを見ておきたいなぁという気持ちから参加してみました。
東松島のボラセンにしては珍しく、1日通しの作業というのも魅力でした。
総勢21名でバスに乗って矢本運動公園 の仮設住宅へ。
隣のエリアの仮説住宅には既に入居されている方がおられましたが、ここはまだ引越し前。
約160戸の住宅です。
今日1日はNPO法人 ADRA Japanさんによる、支援物資搬入のお手伝いです。
募集人員が20名だったのですが、力のありそうな男性ばかりで女性は私1人でした。もちろん女性も混じっていると思っていたので、集まってみてビックリ。相当ハードなのかなぁ…と若干不安に。
みなさんボランティア慣れしたツワモノという感じで、最小限の指示でテキパキと仕事を片付けちゃっていました。
現場の作業は、たまーにちょっと重い物を運ぶこともありましたが、一度に運ぶ数を調整すれば私だって運べるし。
そうはいっても、足をひっぱらないように必死で頑張ったつもりですが、時々さりげなく気を使っていただいていたような…。ご一緒したみなさん、ありがとうございました。
別の日ですが、ADRA Japanのブログによる作業内容はこんな感じです。
室内はこんな感じ。基本的にはほとんどの家が同じ間取りですが、大人数用のトコロが数ヶ所あり、少し間取りが違っていました。
私たちがお布団などを配り始めたときには、既にお米とトイレットペーパーが部屋の中に置いてありました。
ゴミ箱・掃除機・衣装ケース・コタツなどの大物から食器セットなどの小物まで、生活必需品がひと通り。
これだけでは足りないとは思いますが、最初からこれだけセットされていたら助かるだろうなぁと思いました。
明日は家電が6種類入るということでした。
ここは運動公園だったんだよね。
仮設住宅での生活は、避難所とはまた別のご苦労があると思うのですが、少しでも快適に過ごしていただけたらうれしいなぁ。
参考までに『仮説のトリセツ』というサイトもあります。
余談ですが、この日物資を持ってきてくださったイオンの担当者の女性、あの日まではイオン多賀城店(YouTube)にお勤めだったそう。
たまたま休日で自宅におられ、ご主人と車で逃げようとし津波に飲み込まれたとのこと。水が顎の下あたりまで来てしまい、車の窓を割りたくても下の方にあるものは何も見えない。もちろんトランクにある工具にもアクセス出来ず、もうダメかも…と思ったときにご主人の機転で『ヘッドレストを抜き取りその金属部分で窓を割って脱出した』とのことでした。
家も全て流されてしまい、アパート暮らしをしているそうですが『こうしてお仕事させてもらえるだけでありがたい』としみじみおっしゃっていました。
いろいろ考える事のあるお話を聞かせてくれてありがとうございました。
それにしても、この方のご主人すごいなぁ。そんなパニックの時、私はヘッドレストのことを思い出せるだろうか。窓を割るための道具を車に装備しておくという話はよく聞くのですが、やっぱり下の方にあるものは水が入ってしまったらうまく取り出せないんだなぁと実感。天井付近に装備しておくべきかもしれないと思いました。そして、困ったときのヘッドレスト。中々こういう場面に遭遇することはないかもしれませんが、覚えておくといいかもしれないですね。
この日は、石巻に行こうと決めていました。
ボラセンに帰ったら、ソッコーでふたごの湯に行き、そのまま日和山公園へ。
今の石巻をどうしても一度見ておきたいと思っていたのです。
動画や写真をwebで何度か見ていたのだけど、ついて市内を見下ろしたらやっぱり絶句。
瓦礫は少し片付いているようにも見えますが、ココが復興するまではどのくらいの年月が必要なのでしょうか。
石ノ森萬画館のある中洲。
あちこちぐるっと見ながら、この前行ったのはあの辺とあの辺と…と探しました。
ボランティアに行く際は、バスに乗ってある場所に連れて行ってもらうので、なんだか点を見ているだけな気がして…やっぱり来て正解でした。
涼しくなったころに、また訪れてみたいなあと思っています。
3日目は活動なし。
元々、松島に寄って帰ろうと計画していたのです。
松島の観光船が、早くから営業再開したのに閑古鳥が鳴いているというニュースを見たから。
松島はあの沢山の島が自然の防波堤になって比較的津波の被害が小さかった地域。でも、外の人から見たらやっぱり被災地に見えてしまうようです。
それでも多少お客さんが戻ってきているのか、満員ではありませんでしたがそれなりの人数が乗船していました。
船が出るたびに、かもめも出勤。お客さんがくれる餌を待っているようです。
のどかな海の風景と、かもめに癒され帰ってきました。
松島、よいところだったので、今度ゆっくり来てみたいなぁ(観光船が目的だったので)。
長文になってしまいました…。
とりあえず少しの間、被災地でのボランティアはお休みしようと思っています。他の形での支援はもちろん続けたいと思いますが、現地に行けるのは秋以降かな。
個人で出かけるに当たって、下記のブログを参考にさせていただきました。よくまとまっている上に情報も多く、分かりやすいです。行かれる方は一読をおススメします。
災害ボランティア転戦レポート(石巻・小泉浜・東松島・遠野)
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